2025.04.23新着情報

佐々成政おもてなし武将隊☆ファイナルパフォーマンス ☆SNS キャンペーン

数々の名演で感動を集めてきた立山黒部アルペンルート 佐々成政おもてなし武将隊が令和7年5月24日(土)ファイナルパフォーマンスを行います。

それにともない、大町市プロモーション委員会ではSNSキャンペーンを実施します!
#武将隊ファイナル をつけて、同委員会の公式Xとインスタグラムの投稿をリポスト!またはシェアしてください。
参加者の中から抽選で、大町市の美味しいいお米と黒部ダムカレーをプレゼントします!

この機会にぜひアカウントをフォローして投稿をどんどんシェア拡散お願い致します。

【ファイナルパフォーマンス タイアップ企画 SNS キャンペーン】
実施日:4月23 日(水)~ 5月 23 日(金)
大町市プロモーション委員会アカウントの
Xと Instagram の指定投稿を#武将隊ファイナル をつけて、リポスト

X公式 @TAKEKURO

Instagram公式 @shinano.omachi_navi


佐々成政おもてなし武将隊Final

【ファイナルパフォーマンス】
1.期 日 5月24日(土)
2. 演舞時間 ①11:35~、②12:35~、③14:35~
2.場 所 黒部ダムレストハウス前 ※雨天時 黒部ダム駅改札前
・武将隊なりきり撮影
・ノベルティプレゼント (武将隊デザイン和紙しおり先着各回100名)
・大町市銘菓 雷鳥の里プレゼント(先着各回100名)
・退陣式 (3回目の演舞後)

【佐々成政伝説の「さらさら越え」と は】
いまでも冬の立山登山は危険ですが、現在から430年ほど前の戦国時代に佐々成政はそれを果たしました。これが「さらさら越え」です。(豪雪で知られるザラ峠を超えたことから・諸説あり)

なぜ危険な挑戦をする必要があったのでしょうか。富山を治めていた佐々成政は、信長の死後秀吉方と戦いになり苦戦していました。そこで雪で敵が攻めてこない冬のあいだに、山を越えて家康に援助を求めようとしたのです。敵に囲まれていたため他のルートを取ることはできませんでした。

数多くの苦難を切り抜け、雪崩に脅かされ多くの家臣を失いながらも、浜松に到着した、雪崩に脅かされ多くの家臣を失いながらも、浜松に到着した佐々成政ですが徳川家康を説得することはできませんでした。戦いには敗北した佐々成政ですが、暴れ川であった常願寺川の災害を防ぐための治水に力をそそぎ善政を行っていたので領民たちからは慕われていたそうです。の治水に力をそそぎ善政を行っていたので領民たちからは慕われていたそうです。

【配役】
・佐々成政(富山城主
さっさ なりまさ)
・建部兵庫(重臣 たけべ ひょうご)
・早百合姫(側室 さゆりひめ)
※演舞の構成・演出はNPO 法人劇空間夢幻工房。配役は同団の劇団員。

【ストーリー】
佐々成政は一途なまでの純粋を求める戦国武士の気風を終始貫く武将でした。戦国時代の後半にあって、大局的には豊臣秀吉天下の風潮の中でありますが、秀吉対抗のため徳川家康への訪問を決心 します。元々織田信長の忠臣であった成政は「義」の思いと不屈の精神力で、わずかな家来を引き連れ厳冬期の「さらさら越え」に立ち向かいます。冬のアルプス越えという難局の中、早百合姫(「さらさら越え」には同行していないが、幻想の中で)が大町への道筋を示し、一行は大町へ辿り着くことができました。

 

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