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岳都おおまち

美しい双耳峰鹿島槍ヶ岳

「鹿島槍は私の大好きな山である。高い所に立って北アルプス連嶺が見えてくると、まず私の眼が探すのは、双耳峰を持ったこの山である。北槍と南槍の両峰がキッとせり上がっていて、その二つをつなぐ、やや傾いだ吊尾根、その品のいい美しさは見倦きることがない」(深田久弥著『日本百名山』~47・鹿島槍ヶ岳より)「岳都おおまち」の象徴である北アルプスの山々。中でも双耳峰を持つ鹿島槍の美しい姿は深田久弥のみならず、大町市民に愛され、訪れる方々の眼を引く対象となっています。

百瀬慎太郎のこと

信仰の為だけだった登山が、明治時代になって地理学者志賀重昴によって「日本風景論」が出版されると、当時の青年たちの登山への興味を大きく沸き立たせました。日本の山々の美しさを賞賛したもので、大町の山々もこのとき初めて広く全国に紹介されました。その後、ウォルター・ウェストンら外国人が訪れ、大正時代に入ると日本人の登山熱は一気に高まり、そこで次第に案内者の不足という問題が浮かび上がってきます。大町では大正6年(1917)、全国でもいち早く登山案内人組合が結成されました。
その中心となったのは、日本の近代登山の先駆者の1人としてその名が語り継がれる百瀬慎太郎(1892-1949)です。慎太郎は市内で旅館対山舘を営みながら登山者の世話をし、登山ルートの整備や山小屋を建てるなど、その生涯をふるさとの“岳”に捧げました。「岳都おおまち」を語るとき、忘れてはならない人物です。

針ノ木岳慎太郎祭

百瀬慎太郎の業績を讃える「針ノ木岳慎太郎祭」が、夏山シーズンの開山祭も兼ねて毎年6月の第1日曜日、針ノ木大雪渓などを会場に行われます。慎太郎が遺した言葉「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」をかみしめながら。

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